自分を肯定するということ
昨日はなんだか哲学めいた内容のツイートを多く見たのでつられてみる。
ネット上で議論が発生することや、人が勝負にこだわったりすることの原因に、人が本質的に「自分を肯定したい」ということがあると思う。
何をもって「自分を肯定できるか」は人によって違って、例えばそれが「他の人との比較」であったり「勝負に勝つこと」だったり「表現による自己満足」だったりするのではないか。
これらを求める場合、時に他人との摩擦や衝突が発生する。
勝負事や議論に勝つなどはまさに衝突の先に得られるものだけれど、それが自己肯定のために行われているのであれば、その本人にとってはその行為は「健全」なことだと思う。
しかし本人にとって健全であることが、社会にとっては正しくないという状況があるため問題が発生する。
漫画の中で悪役、敵役に魅力を感じることがあるけれど、大抵そういうキャラクターは反社会的な事をしていても自分を肯定して生きている。
現実では犯罪になってしまう場合もあり、必ずしも「自己肯定をすることが正しい」とは言えない。
ただし「自己否定」に走ってしまうことは健全でない状態で、例えば何か問題があった時にすぐに何でも「自分のせいだ」と考えがちな人は気を付けた方がいい。
自分にダメージが生じるだけでなく、自己否定に耐えられなくなり自己防衛本能が爆発することになるかもしれない。その結果仕事を辞めたり、自分を否定する人間を攻撃する方向に走るかもしれない。
なんとなく「自己肯定本能」と「自己防衛本能」のバランスが大事な気がしてきた。
社会や他人との関係を正常に保つためには自己肯定を抑える必要もある。
一つ気を付けたいのは、自分のマイナス要素やコンプレックスを周囲にアピールすること。
自虐的な発言は自己否定に見えて、実は自己肯定のための行動で、そうすることは自分を守るために必要なのだけれども、行き過ぎると自分の成長や状況の改善、社会的な立場を失うことに繋がりかねない。
また、本来直していくことが出来るはずのマイナス要素を自分で肯定してしまって改善に向かわないという事もある。
私の場合は時間の使い方に問題がある。
自己肯定のために時間をおろそかにしてしまいがちだ。
気を付けていきたい。
↑こう書くこと自体が時間にルーズな自分をどこかで認めてしまっている。
本当にこんな自分を否定しているなら、恥ずかしくて書けないし、こう書く前にどう直すかを考えているだろう。
直さなきゃと思いつつどーしようもないなという気持ちもあるので、こう書いてしまえるわけで。
でも究極的には自分しか自分を肯定できないという部分もあるので、自分を肯定することというのは大事だと思う。
ワールドイズマインって漫画でもそんな内容が見られた気がする。
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